(連載推理小説) 軽井沢人形館事件

 

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 晩春のある日、こんな手紙が送られてきた。
「軽井沢に別荘を持ってから遊びにこないか」
 手紙をくれたのは、遠い昔の知人からだった。いまの会社に入って四年ほど同じ課で仕事をしていたが、気まぐれな性格のために翌年の春に辞めてしまった。生まれは長野県で、その後は連絡もなくどこにいるのか分からなかった。
「軽井沢に住んでいたのか、でも別荘を持っているなんてすごいな。じゃあ行ってみるか」
 三年前の夏にも軽井沢へ遊びにいったことがあるのでだいたい道はわかっていた。次の金曜日に行くと返事を出した。会社はいまコロナ感染症の影響で休業中なのでちょうどよかった。
 当日の朝、前橋の自分のアパートを車で出発して関越自動車道に乗り、藤岡ジャンクションから上信越道に入って、一路軽井沢碓氷インターに向かった。前橋から軽井沢まで約1時間半で行ける。
 軽井沢碓氷インターを降りてから国道92号を走って、旧軽井沢にあるという知人の別荘へ向かった。軽井沢の町は車も多く、人で賑やかだが、別荘地へ入ると周囲は静かで樅や落葉松の林が群がっている自然の中に、たくさんの別荘が建っている。いつ来てもこの辺の別荘はりっぱな建物ばかりだ。
 夏になると、東京や神奈川から避暑客がたくさんやってくるが、まだ四月の軽井沢は寒く歩いている人も少ない。
 手紙には別荘の場所を記した地図が入っており、それを頼りに走っていった。でも、なかなか知人の別荘が見つからなかった。
 別荘地に入り込んでしまうと、どこをみても別荘だらけで迷って困る。同じところを何回もまわっているうちに、とうとう迷子になってしまった。しばらくしてゴミ捨て場の近くで、見覚えのある男がこちらを見て手を振っていた。
「あれは木田だ」
 そばまで行くとやっぱりそうだった。
「よくきてくれたな。ひさしぶりだ。待っていたんだ」
 車を降りた私を見て木田はいった。
「お前も元気そうじゃないか、何年ぶりかな。ずーっとここで暮らしているのか」
「そうなんだ。三年前に別荘を建てたんだ。さっそく案内しよう」
 木田を車に乗せると、狭い林道を走って行った。しばらく行くと林の中に小さな空き地があり、みすぼらしい小屋が建っていた。
「あれがそうか」
 がっかりしたが、やっぱりそうだった。
「まあ、ゆっくり泊まって行ってくれ」
 木田にいわれて小屋まで歩いて行った。
 わずか6畳ほどのほったて小屋で、電気もなく、水道も来てない不便な小屋だった。夜はランプを灯し、水は小屋の後ろを流れている川で洗濯をしたり、飲み水はろ過器を使って飲むそうだ。
「驚いただろう。僕にとってここはいい住み家なんだ」
 昔から神経が普通の人とどこか違っていたが、本人は実に満足している様子だ。多分、軽井沢の中で一番みすぼらしい別荘だろう。
 木田は日常の暮らしのことをいろいろと話してくれた。
 彼の毎日の日課は、朝から夕方まで小説を書くこと。書いた小説は、長野県の自分たちの文学サークルの同人誌に発表しており、最近はホラー小説の執筆に励んでいるそうだ。
 電気が来てないから、パソコンもワープロも使えず、手書きで小説を書いている。スマホも携帯も持っていない。
 週に一度軽井沢の町へ買い物に出かける。そのついでに軽井沢図書館で本を借りてくるのだそうだ。
 バイクも持っていないのでいつも自転車で出かける。小説が書けないときは、旧軽井沢の商店街をぶらついたり、林道を散歩している。
「まあ、ゆっくり泊って行ってくれ。明日、軽井沢の文学館などを紹介しよう。お前は休みの日は何をしているんだ」
「おれは前橋のマンドリンクラブに入って6年になる。秋には定期演奏会があるので、いま発表曲の練習中だ」
「へえ、音楽か。それはいいな。楽器が弾けたら楽しいだろうな」
 夕方になった。夕食を食べることにした。
食事といっても、ほとんどがカップ麺ばかりだ。
 軽井沢町は標高が940メートルで、夏は過ごしやすいが、冬はマイナス10℃くらいまで下がることがあるので、冬は林の中で薪を捜してきてそれをストーブに入れて使っているとのことだ。
 山田は会社を辞めてから、この小屋を建てるまで、ホテルの清掃のアルバイトでなんとか生活していたが今は無職だといった。
 小説はずーっと書き続けているが、一度も文学賞を取ったことがない。けれども本人は賞にはまったく無関心で、ただ面白い小説が書けさえすれば満足なのだ。
 林の中にぽつんと建つ木田の小屋に泊った翌朝、簡単な朝食をごちそうになって、自分の車でさっそく文学館を見学しに行った。
 最初に行ったのは追分にある堀辰雄文学記念館だった。開館時間は午前9時からで、まだ入場者は数人だけだった。記念館の中には堀辰雄の代表作「風立ちぬ」、「美しい村」、「幼年時代」、「菜穂子」などの初版の小説や自筆原稿、創作ノート、愛用したペーパーナイフ、万年筆などが展示されていた。
 意外にも同時代に活躍した詩人、立原道造の処女詩集「萱草に寄す」の初版本があった。楽譜くらいの大きさの薄っぺらな詩集だった。
 また昭和初期の頃の軽井沢の別荘の写真などもあり興味をそそられた。敷地の真ん中に小さな建物が建っていた。それは書庫で、堀辰雄の蔵書がたくさん入っていた。
 別館には堀辰雄が散歩のときに使っていた杖やベレー帽なども展示されていた。
 堀辰雄記念館を出てから、軽井沢図書館にも行った。思っていたよりも小さな図書館だった。 
「本を借りていくよ」
 木田は書棚へ行くと、「ドイツ怪奇短編小説集」「イギリス幻想小説集」「世界ホラー傑作短編集」などを借りた。木田は返却遅れの常習犯だったので、貸し出しの職員が嫌そうな顔をしていた。
 昼になったので、近くのレストランに行って日替わりランチを食べた。食べ終わってコーヒーを飲んでいたとき、木田が変に真面目な顔になって奇妙なことをいい出した。
「実は不思議な洋館があるんだ。館の中は人形ばかり置いてあって気味が悪いんだ」
 木田は話を続けた。
「ひと月前のことだ。室生犀星記念館のそばの林道を散歩していたとき、林の中で何か動いたんだ。山猿かと思ったけどそうじゃなかった。軽井沢には山猿がたくさんいるからね。でもそこにいたのはロボットみたいな人間なんだ。それも女性だ。茶色いロングヘアーの髪で、腕なんかずいぶん白かった。後ろ姿だけで顔はよくわからない。すぐに林の奥に姿を消したんだ」
「ロボットみたいな人間?。本当にそうか」
「動き方だ。なにかギクシャクした、あれは人形ロボットの動き方だった」
 木田の不思議な話を聞いて、私はとても興味をそそられた。
「それだけじゃないんだ」
 木田はさらに話を続けた。
 木田の話によると、その記念館の近くに軽井沢ショー記念礼拝堂が建っている。人形館はその礼拝堂の前を通る国道133号線の傍を流れる矢ケ崎川の向かいの林の中にあるのだ。木田はショー記念礼拝堂にもやってきて、一番後の長椅子に座って昼寝をすることがあるといった。
ある日の夕方、いつものように礼拝堂の中で昼寝をしていると、誰かが窓から覗いているような気がした。驚いて横の窓を見ると、ガラス越しに以前林の中で見た茶色の髪の女性だった。無表情でまるロボットのような顔で中を覗いていた。慌てて外へ出てみたが、そこにはもう女性の姿はなかった。林の中に消えたのだ。
 木田の話を聞いて、私はすぐにでも人形館へ行きたくなった。
「じゃあ、今からいってみよう」
 レストランを出ると、私たちは一先ず、木田の小屋に戻って車を置いて、自転車を二人乗りして人形館のある場所へ行くことにした。
 旧軽井沢は浅間山麓と違って、平坦な道ばかりなので木田はいつも自転車で散歩をしているのだ。
 国道を南へ走って行くと、つるや旅館があった。すぐ傍に小さな林道が通っていた。自転車を降りて歩いていくと、「室生犀星記念館」と書かれた表札が立っており、100坪くらいの広さの日本庭園があった。その奥に平屋建ての和風の家が見えた。記念館は入場無料でだれでも自由に出入り出来る。
「犀星は静かな所にこんな家を建てたのだな。ここだったらよく小説が書けただろう」
 室生犀星記念館を出てから、次は人形館へ行く途中にあるショー記念礼拝堂を見に行った。(続く)
 
(オリジナル推理小説 未発表作)
 
(オリジナルイラスト)
 
(水彩、色鉛筆画 縦25㎝×横18㎝)