(連載推理小説)画廊贋作事件

 

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舞鶴へ帰省する前日だった。公務員宿舎に宅急便が届いた。東京の画廊で買った絵が届いたのだ。額に入った細長い大型の絵である。

さっそく包装を外して、箱から絵を取り出した。長さ1メートル、幅50センチの「天橋立の砂浜」の油絵だった。

「やっぱりすばらしい絵だ。買ってよかった」

すぐに以前購入した「神崎の海岸」のとなりに飾ってみた。同じ画家の描いた絵なので画風がよく似ている。初期の作品である「天橋立の砂浜」は、色使いは平凡で暗いが、それは若い頃の特徴だと思われる。全体の筆のタッチは同じである。少し気になったことは、サインだった。「神崎の海岸」は苗字だけだが、「天の橋立の砂浜」には苗字の前に名前のOの文字が入っている。でも、それは多くの画家の絵にもあることで、時代によってサインの入れ方が違う。

それよりもやはり絵が重要なのだ。二つの絵は同じ画家の制作したものと断定できる。

翌日、休みを取って車で舞鶴へ帰省した。母親はいつもどおりのんびり暮らしていた。寒くなってこれからブリが出回るといっていた。そういえばもう11月半ばだ。ファンヒーターを着けて夕飯を食べた。明日は車で神崎へ行く。夜は寒冷前線が通過して、寒気が入り一段と寒くなった。夜は暖かくして寝た。

翌朝、冷たい雨だったので車で神崎へ行った。舞鶴の自宅から30分で行ける距離である。神崎海岸の駐車場には乗用車が1台止まっていたが人はいなかった。 

辻昭彦は、青い屋根の家に行ってみた。車を家の近くに止めて、敷地の中へ入って行った。ガレージに車があった。画家は在宅だ。玄関へ行ってブザーを押した。しばらくして廊下を歩いて来る音がした。

玄関のドアが少し開いた。40代半ばの痩せた男が顔を出した。この家の画家だった。

「何かごようですか」

 怪しい目つきで辻にいった。

 辻昭彦は、画家の顔を見ながら訪ねてきた理由を話した。

「じつは、あなたの絵を2点購入しました。「神崎の海岸」と「天橋立の砂浜」という絵です。印象的な絵なので少し絵について聞きたくてやってきました」

 画家はその話を聞くと、少し顔つきが和らいだ。

「そうでしたか。名古屋と東京の画廊から電話がありましたが、私の絵を買ってくれたのはあなただったのですね」

 画家は答えた。

 辻昭彦も男の愛想のよい対応にほっとした。心の中で思っていたことを話してみることにした。

「ぶしつけなお願いですが、さしさわりがなければほかの絵を見せてもらえませんか」

 画家はそれをきくと、にわかに顔つきが変わった。

「いまは外へ出て絵を描くことはめったにないから、あなたが気に入るような絵はないです。昔描いた静物画と風景画が何点かあるだけです」

「いや、それでも結構です。静物画も好きなんです」

 画家は戸惑っていたが、

「じゃあ、少しの間だけですよ。もうすぐ客が来ますので」

 辻昭彦は家の中へ入れてもらった。玄関に入ると10号くらいの静物画が壁に飾ってあった。リンゴ、ナシ、ブドウ、花瓶を並べた厚塗りの作品だった。家の中を見ると、中央に廊下があり、左右に部屋があった。

「こちらへどうぞ」

 画家に案内されて左の部屋に入った。応接間がありソファーに座った。正面の壁には、30号の大きさの「由良の砂浜」の油絵が飾ってあった。色合いも筆使いも「神崎の海岸」の絵と変わらない見事な作品である。

ソファーの横の書棚には画集と美術の研究書が入っていた。その背表紙をみて辻は驚いた。青木繁に関する本ばかりだった。辻昭彦は、ソファーに座って話し出した。

「私は西舞鶴出身なんですが、仕事の関係で現在、名古屋に住んでいます。関東のご出身だそうですね」

「栃木県です。東京の画塾で絵を習ってその頃は関東の山もずいぶん描きました」

「海外へは行かれたのですか」

「いいえ、国内だけです」

「奥さんがおられるそうですね」

「ええ、でも今は一人で暮らしています」

 辻昭彦は話題を青木繁のことに切り替えた。

「あなたの絵は、青木繁の絵を思わせる画風ですね」

 すると画家は、

「画塾の先生から正統派のデッサンを習いました。その先生は黒田清輝や浅井忠、など近代絵画の絵を研究されていました。青木繁も当時、東京美術学校で黒田清輝の指導を受けたと画塾の先生から聞いたことがあります。そんな理由かもしれません」

「私は日本の近代絵画が好きなんですが、特に青木繫の作品に目がありません。あなたは青木繫のどんな絵が好みですか」

 画家はちょっと困ったような様子で、

「いや、いい絵が多すぎてすぐには答えられません。やはり「海の幸」なんかいいですね」

「日本神話を題材にしたものは、」

「ああ、そんな絵も描いていましたね」

「インドの神話を題材にしたものもありましたね」

「そうでしたね・・・」

 辻昭彦は変な気がした。この画家は青木繫の絵を知っているのだろうか。

「私は日本の近代絵画よりも近代以前の西洋の古典絵画の方が好きですね。クールベだとかアングルなんかです」

 画家は平静な顔つきになってそういった。

「そうですか。古典絵画もすばらしいですね」

 40代の画家にしてはずいぶん古臭い趣味だなと辻は思ったが、初期の「天橋立の砂浜」はダイナミックな絵ではあるが、色彩は古典絵画を思わせる暗い画風である。

 辻昭彦は話題を変えた。

「アトリエはどちらですか」

「2階です」

 見せてくれといったが、画家は「それはちょっと」と断られた。

 画家は自分の絵を買った感想を聞きたがった。辻昭彦は、画風は古典的ではあるが、筆のタッチは鋭く、所々に個性を感じさせる絵だといった。まったく素人の感想である。

 画家はそんな感想をだまって聞いていたが、

嫌な顔もしなかった。

「最近はどんな絵を制作されているんですか。よい絵だったら買いたいと思っています」

 画家は、笑いながら、

「近頃はあまり描いていません。でもこれまで海の絵ばかり描いていたので、今度は山の絵を描きたいと思っています。近いうちに長野県か群馬県へ住所を変えるつもりです」

「へえ、それは遠いところですね。いつ頃ですか」

「年内に予定しています」

「それは早急ですね。何か事情でもあるのですか」

「いえ、事情というほどでもありませんが、早い方がいいと思っています。長野県や群馬県には知り合いも多いので」

画家はそれ以上詳しくは話さなかった。

「じゃあ、また絵が出来たら、是非拝見したいです」

 辻昭彦は、ポケットに手を入れると名古屋の住所が印刷されている名刺を取り出して画家に渡した。

「絵が市場に出たときは教えて下さい」

「わかりました」

画家と15分くらい話をしたが、画家も客を待っているようすなので、話を打ち切ることにした。

「もうすぐ客が来るので、これくらいでよろしいでしょうか」

「大変失礼しました。今日はありがとうございました」

 辻昭彦は、この家から出ていくことにした。

玄関に行き、靴を履こうとしたとき、廊下の奥にある鏡に映った絵が見えた。観てすぐに分かった。青木繁の「海の幸」だった。

「あれはよく出来た複製画ですね」

 画家も複製画を見ながら、

「昔、家内が東京の画廊で安く売っていたものを買ったのです」

「青木繁は土佐の生まれだから、繊細さの中に力強さがありますね」

「そうです。だから人気があるんです」

 画家にあいさつして辻は家から出た。相変わらず雨が降っていた。門のところで2階を見上げた。そして分かったのだ。

「あの画家は青木繫の絵のことも、出身地も知らない」

 路上駐車していた自分の車に乗って帰ることにした。海岸の駐車場にはさっきの乗用車が止まっていた。人は乗っていなかった。

神崎駅の方へ車で向かって行く途中、駅から傘をさして歩いてくる帽子を被った背広の男を見かけた。そのすぐ後ろからはダークブルーの車が走ってきた。車はすぐに右のわき道に入り、青い屋根の家の方へ走って行った。

「気になる車だな」

 思いながら車を運転して西舞鶴駅まで帰って来た。駅の駐車場に車を止めて、マナイ商店街をぶらぶら歩いた。昔のような賑わいはない。店はたくさん閉まっていた。郵便局で金を降ろしてどこか喫茶店でもはいろうかと思った。

商店街の中にこじんまりした喫茶店があったので、そこに入ってホットコーヒーを飲んだ。来月は12月だ。日本海側ではまた雪だろう。名古屋や関東では雪はほとんど降らないが、冷たい風が吹きつける。これからが冬本番だ。

 喫茶店を出ると雨は上がっていた。久しぶりに田辺城の方へ歩いて行った。城内に入ってベンチに腰かけた。座っていた時、ふと思い出したのだ。

「そうだ、婆さんが言っていた車は、さっき神崎駅へ向かう途中に見かけたダークブルーの車だ。乗っていたのはひとりだけだった。でも、あの家に何の用事でやって来るのであろうか。いったい誰だろう」

 辻昭彦は、その人物をなんとか特定しようと考えた。

 家に帰って来ると夕飯が出来ていた、今夜はブリ鍋だった。お腹が空いていたので美味しく食べた。

休みはあと一日だった。名古屋に帰る前にもう一度神崎と宮津へ行くことにした。宮津に行く目的は「天橋立の砂浜」が描かれた場所を見るためだった。

 翌日、昼過ぎに電車で最初に神崎へ行った。天気は曇りだった。画家の家には車がなかった。今日は留守だと分かった。仕方がないので少し遊歩道を散歩した。

 西の方へぶらぶら歩いていた時、向こうから昨日神崎駅で見かけた帽子を被った背広の男ともうひとりの背広の男が歩いて来た。そばまできたとき呼び止められたのでびっくりした。

「失礼ですが、少し伺いたいことがあります」

 辻昭彦は、知らない男に言われて驚いた。

 帽子を被った男が背広のポケットから何か取り出した。警察手帳だった。

「何の用ですか」

 二人は刑事だった。

「実は、あの青い屋根の家を連日張り込んでいるのですが、昨日、あなたが家に入っていかれたところをこの刑事が見ました、私は本署へ用があって昼頃こちらへもどって来ました」

 辻は昨日、神崎駅でこの刑事に会ったのだ。

「ええ、あの家にはたしかに行きました。あの家の画家さんの絵を買ったもので、話を伺いたくていったのです」

辻昭彦は、この刑事たちがいまニュースで話題になっている贋作事件の捜査をしているのだと直感したので反対に尋ねてみた。

 刑事は辻の質問に驚いたが、それなら聞きやすいと思ったのか、引き続き丁寧な話し方で答えた。

「おっしゃる通りです。ぜひご協力をお願いします。昨日、画家とどんな話をされました」

「ええ、買った絵の感想をしたり、最近はどんな絵を描いているのか尋ねたり、そんなことです」

「ときどきやってくる車のことなどは」

「知りません。ただ客だと言っていました」

 刑事の質問は鋭かった。

「じつはその客と画家がどんな関係にあるのか調べているのです」

 辻昭彦もそのことについては同じように感じていた。

 刑事はさらに尋ねた。

「引っ越しをする話などは」

「年内に、長野県か群馬県に行くとか言ってました」

「早急ですね。理由は聞かれましたか」

「いいえ、なんでも向こうには知り合いがいるとか言ってました」

「ほかに気づかれたことは」

「いえ、ありません」

「家の中にたくさん絵がありましたか。アトリエの中を見ましたか」

「いいえ、数点だけ自作の絵がありました。アトリエは見せてくれませんでした」

 刑事はほかにもいくつか質問をしたが、失礼を詫びると頭を下げて、車が置いてある駐車場の方へ歩いて行った。

 遊歩道には辻昭彦だけが立っていた。

海は静かだった。ときどき海からの冷たい風が吹きつけていた。 

辻昭彦は神崎駅へ戻るとそのまま宮津に行った。(つづく)