ふしぎな演奏家

 

 その演奏家はいろんな町に現れた。黒いコートを着て黒い帽子をかぶっていた。だけど楽器らしいものは何一つ持っていなかった。

 あちこちの家の壁に、自分の独奏会のビラを貼り付けて歩いた。ビラを見た人たちはいろいろ噂をした。

「楽器もないのに、どうやって独奏会をやるんだ」

「ポケットにハーモニカを入れているのかな」

「いや、オカリナかもしれない」

「まさか、小型のヴァイオリンかな」

 まだ演奏を聴いたことがない人たちはいろいろ推測した。

 ある日、雨が上がった夜に演奏家の独奏会が公園で開かれた。五十人ほどの観客が集まった。

 でもいくら待っても演奏家の姿が現れない。そのうちに霧が出て来た。公園の中は霧で周囲がまったく見えなくなった。

「いたずらだ。帰ろう」

「そうしよう」

 みんなぶつぶついいながら帰りかけたときだった。霧の中から口笛の音がした。透き通るようないい響きだった。みんなその音に立ち止まった。

「あの演奏家だろうか」

 霧で姿が見えないが、すぐ近くで口笛を吹いているのが分かった。

 曲がおわると、演奏家が口を開いた。

「今夜の独奏会にいらっしゃってどうもありがとうございます。びっくりされましたか。私はもう二十年も昔から口笛でいろんな曲を吹いているのです。いろんな国にも行きました。南米やアフリカのジャングルで吹いたこともあります。そしていろんな国の曲も覚えました。どうかリクエストしてください。どんな曲でも吹いてみせます」

 演奏家がいったので、観客たちは次々にリクエストをした。演歌、歌謡曲、フォークソング、民謡。どれも澄み切った響きで演奏家は吹いてみせた。そのほかにもアフリカの民謡、インドの民謡、東ヨーロッパの民謡、アジアの民謡なども演奏した。

「すばらしい、いままでこんな口笛を聴いたことがない」

 そういってみんなお金を霧の中へ投げ入れた。

 たぶん二時間くらい独奏会は続いた。だれも帰る様子はない。最後の曲を吹き終ったとき、演奏家はいった。

「今夜の独奏会はこれで終わりです、また機会があればお会いしましょう」

 そういってアンコールの曲を吹きはじめた。

 その曲もみんな静かにじっと聴いていた。

 口笛の音はやがて霧の中へ消えて行った。

 

 

 

(オリジナルイラスト)

 

 

(未発表童話)